人生は黒歴史の連続である
実家に帰った話をしようと思う。 引きこもり、実家に帰る 台風19号の影響で、浸水被害の可能性のある我が家から、比較的高台にある私の実家(車で2時間ほどの距離にある)に家族丸ごと避難した。 実は私が動く城のフィオとして活動しているということは両親には知らせておらず、「病床に伏した後はなんとなく日銭を稼いでいるらしい」位の認識であった。 今回、話す時間もたっぷりあることだしこれ幸いとOculus Questを持参し、これまでに私がフィオとして取り上げられた新聞記事や雑誌の記事を見せながら「こういうことをしている」という話をした。 ところで私の父は経営者で、先先代が創った小さな家業を継ぎ「会社」になるまで育て上げた優秀な3代目であり、間も無く還暦を迎える。 これまで経営者として数十年を生きる中で、多くのことを新たに学び事業に活かすことを繰り返してきたのだろう。 初めて聞く「VR」と「VR空間での生活」、その中における「商材」と「商取引」について、父は驚くほどの速度で理解したようだった。 一方、専業主婦として父を支え続けてきた母は、昔から私のことを「宇宙人」だと言い「何を考えているか分からない」と冗談交じりに言う。 「あたしはVRのマーケットだとかよく分からないわ」という母に対し、父が「現実がもう1つできるってことだよ。◯◯◯はそこを人が生きていけるだけの価値を持った社会にしようとしているんだ」と言ったのには驚いた。 「バーチャル空間がもう1つの現実になる」とは、私からはその時まだ一言も言っていなかったからだ。 「これからこういう未来を目指していく」と語った私に対し、堅実な経営者としての目線で多くのアドバイスを貰った。人材の話、売上構成の話、ビジネスモデルの話。 どれを採用するかはさておき、此度の父との対話が私の中での宝物になったことは間違いない。 私が理想とする経営者の1人が、他ならぬ父だからだ。 公務員になることを望まれた結果、美少女おじさんになった息子 両親は、私に公務員になって欲しかったらしい。 幼い頃から「家業は継がなくて良い。公務員になって安定した生活を送りなさい」と何度も何度も聞かされ、「勉強して良い成績を取り、良い大学に行き、大企業に入りなさい」と言われ、何も疑うことなくそのようにした。 しかし、どうやら私は安定よりもリスクを、誰かの歩んだ道とは異なる獣道を選びたがる性質があるようだった。 ある時、両親の敷いてくれたレールを外れ、芸能の道に入った。そして、経営に携わる道を選んだ。 しかし、どこかにやましい気持ちがあった。 「両親の期待を裏切ってしまった自分」を認めることができなかったのだ。 「公務員になって欲しい」という「(道を縛る)呪い」のようなものを長らく感じていた。 私も子供を授かり、息子の幸せな人生を本気で考えた時に、ようやく気づいた。 それは、「(親が想像しうる中で最善の幸せを生きて欲しいという)願い」だったのだと。 父は破天荒な1代目の孫、質実剛健で地元の信頼厚い2代目の息子として生まれ、高度経済成長期とバブル崩壊の中で事業を継ぎ、見事に成長させた。私が経営の道に入ってから家業の決算書を見せてもらったことがあるが、あまりにも壮絶なドラマがそこにはあった。 私が公園で遊んでいた頃、父は家族を生かす為に必死で金策をしていたし、業界が縮小する中で生き残りを賭けて何度も博打のような起死回生の手を打ってその全てにギリギリの所で勝ってきたのだ。 「息子にはこんな苦労はさせたくない」 ただそれだけだったのだ。 ふとそのことに思い至り、父に電話をかけた。 「家業を継ぐな」「公務員になれ」とはこういう意味だったのか。「私は、私が選んだ道を通して幸せになって良いのか」と問うた。 答えなど既に分かっていた。 「そうだ」と父は言った。 「呪いのような願い」が解けた瞬間だった。 人生は、いつまでもこどもな私たちがおとなになろうともがき続けるプロセス 結局、自ら選んだその道では私は上手く振る舞えず病床に伏し、1度は社会から落伍した。 その後フィオとしてバーチャル空間に転生し、新たな人生を歩み始めたことは、これまで様々な所で言ってきた通りだ。 この道が正しいのかは分からないが、今のところ幸せであるし、道無き道を先頭切って切り拓いていくのは中々に楽しい。 人は死ぬまでずっと「幼い頃に描いた人生脚本に縛られた"こども"」で、人生は「"おとな"になろうともがき続けるプロセスである」というのが私の人生観である。 人生脚本は物心つく頃には(多くは親との関わりの中で無意識下で)ほとんど書き終えていて、人生は脚本に従って(無意識に繰り返すことで更に脚本を強化しながら)続いていく。 人生脚本の筋書きは人により本当に様々で、 ・成功を享受する ・人の喜びに寄り添える といった自他共に望ましい筋書きもあれば、 ・人の成功が妬ましくて仕方ない ・まず欠点に目が行ってしまう といった、豊かな人間関係を阻害する筋書きもある。 人生脚本は無意識によって描かれ、無意識に繰り返される。私が両親の願いを「呪い」と捉えていたのも無意識だ。 その「呪いのようなもの」の本質にある日気づき、意味合いを書き換えたことで私のキャリア観は一変した。 「自分は自己の望まない(世の中のことも何も分からない幼い自分が感じた世界の理によって描かれた)人生脚本を持っている」と自覚した瞬間から始めて本当の人生が始まる。 全ての思考のクセや性格や行動、意思決定の根源にあるのは「どのような人生脚本を持っているか」に尽きる。 人間は、誰もが人生脚本を抱えており、誰もがそれをいやがおうにも演じ続ける"こども"だ。 己の人生脚本を自覚し、意味づけをし直すことで書き換え、真に自発的にものごとを捉え直すことで人は1つ"おとな"になれる。 人生脚本は分厚い。 一生かけても読み解くことはできないまま、我々は死んでいく。それでいいのだろう。 時たま、破滅に向かうことを良しとする人生脚本を抱えた人や、失敗する自分を達成することに成功体験を覚えてしまう人生脚本を抱えた人を目にすることがある。幼い頃に何か辛いことがあり、それを今でも演じ続けているのだろう。 人生脚本は、いつでも書き直せる。 それを書いたのは世の中のことが何も分からない幼い頃の自分自身で、その元となった両親も完璧な人間ではないから、筋書きはちょっとおかしいくらいで当たり前なのだ。 完璧でない事を許し、呪いが願いであったことに気づき、脚本の意味を書き直すことで、いつでも人生は変わる。 去年の自分は黒歴史だ。 昨日の自分は黒歴史だ。 だって仕方がない。 人間はいつまでも"こども"で、永遠に"おとな"にはなれないのだから。 黒歴史を積み重ねながら生きていく。 むしろ黒歴史の数だけ、人生脚本を書き直すことができたということなのだから、黒歴史に満ちた人生こそがより自分らしい生き方なのかもしれない。 願わくば、幸せな人生脚本を演じることができる人が増えんことを。